前回、新穂高温泉から双六小屋までの道のりを10時間以上かけて歩いてきました。
ところが、今回の旅はここからが本番。
天空の溶岩大地、日本最後の秘境とも呼ばれる”雲ノ平”を目指し、この日も10キロを越える道のりを進みます。
行きたいと思っても気軽に行くことができない秘境に長い間魅せられてきました。
遂にこの日、思い描いていた夢を実現させに行きます。
天空の滑走路と双六岳

去年の双六岳登山といい、前回の常念岳登山といい、テント泊登山の寝坊率が非常に高い私は、今回は寝坊するわけにはいかないので4時前には起床しました。
ゆっくり準備を整えて、5時をまわった頃に鷲羽岳方面を見ると、雲居の空に黒い頂が静かに鎮座しています。
こんな荘厳な雰囲気の中では、一層身が引き締まります。

5時15分に、双六小屋を出発します。
まだ周囲は薄暗いですが、ここから一気に明るくなります。

双六小屋から双六岳までの間には、いくつか分岐があります。
もちろん我々は双六岳の頂上へ向かいます。

双六小屋から双六岳までの道には、天空の滑走路と呼ばれる素晴らしいポイントがあります。
そこに至るまでには、このような岩場を乗り越えていかなくてはなりません。
しかも、今回は前年と違って16キロの荷重を背負っています。
秋旻を見上げながら、確実な足取りで登っていきます。

疲れて足を止めると、つい後ろを振り返ってしまいます。
そこには、早朝にしか見られない神々しい景色が広がっていました。
一瞬の朝が見せた感動の光景、荒天する前にしっかりと目に焼き付けます。

6時20分に、天空の滑走路に来ました。
太陽は力強い太陽光線を雲に反射させており、雲上の奇跡を一瞬だけ生み出しました。
ただ、この瞬間を境に、この日は太陽を見ることはありませんでした。

ものの1分で、このように滑走路は雲に包まれました。
風があるので雲が流れることを期待しましたが、次々と湧き出す雲は非常に厚くキリがないので、仕方なく先に進むことにします。

天空の滑走路を抜けて、双六岳までの最後の登りです。
山頂直下は至る所に岩が散りばめられているので、濃霧の場合は迷いやすいです。

6時40分、双六岳登頂です。
この山行で最初のピークです。
太陽が出ていないので非常に寒く、ベースレイヤー・ミドルレイヤーの上にダウンジャケット、さらにレインウェアを羽織って寒さ対策を万全にします。
去年とは大違いの環境ですが、旅はここから中盤。一喜一憂していられません。
飛騨山脈の交差点 三俣蓮華岳へ

天候の回復は見込めないので、雨に降られる前に双六岳を後にします。
次のピークは三俣蓮華岳、ここから先は未だ行ったことがありません。

双六岳から三俣蓮華岳まで続く稜線です。
視界はなく、小雨が降っています。
細かいアップダウンはあるものの、歩いていて気持ちの良い稜線です。

双六岳から三俣蓮華岳までの稜線上には、丸山というポイントがあります。
一応ひとつのピークですが、特に目印や看板とかは無いので通り過ぎてしまうかもしれません。

三俣蓮華岳に近づくにつれて道幅は狭くなり、気の抜けないルートとなります。
特に東側は崖のようになっており、視界の悪さも相まって危険度が増しています。

さあ、三俣蓮華岳はもうすぐです。
初めて歩く場所のワクワクを噛みしめながらも、晴れていた時の景色を憧憬してしまいます。

最後の一登りを経て、「ここは三俣蓮華岳」と記載されている看板に着きました。
ただ、ここは三俣蓮華岳のピークではありません。
距離的には目と鼻の先ですが、もう少し北東に行くと山頂があります。

8時19分、三俣蓮華岳に到着しました。
周囲はガスガスで展望はありませんが、明日以降の絶景に期待する大きな布石だと思って、白い空間に身を置きます。
ここは長野県・岐阜県・富山県の三つに跨る場所であり、穂高連峰・立山連峰・後立山連峰の交差点でもあります。
この北アルプスのジャンクションは、あらゆるルートの通過点となる特別な場所です。
三俣山荘への明媚な道中

三俣蓮華岳から景色は見られなかったので、早めに三俣山荘へ向かうことにします。
ここから三俣山荘までは下りとなります。山頂直下はやや急な道で、濡れた岩場も存在するので、転倒しないようにフラットフッティングを強く意識する必要があります。

三俣蓮華岳を下って10分程で、双六岳へ向かう巻道との分岐があります。
看板は、このように破壊されていますが、指し示す方向は合っていました。

標高を下げていくうちに、真っ白な雲の層を抜けて美しい鷲羽岳の山肌が見えてきました。
前を歩く同僚は、少し膝の違和感を気にしており心配なのでペースを下げます。

三俣山荘を視界に捉えました。
しかし、目標地点が見えてからが長く感じてしまう山のマジックに嵌まってしまいます。
歩いても歩いてもなかなか近づいてこない三俣山荘。
一気に疲労感が増して沈んでいく心とは裏腹に、景色はどんどん開けていきます。

なんとか下り斜面を降り切ると、高山植物の美しい彩色が疲れを癒してくれます。
そして、奥に見える雄大な山こそ、今回の山行で最後の挑戦として立ちはだかる名峰”鷲羽岳”です。
巨大な鷲が羽を広げているように見えるその山容は、簡単に辿り着けないからこそ、より一層雄々しくカッコいい姿に映ります。

9時14分、三俣山荘に到着しました。
三俣山荘といえば、このように年季の入った味のある山荘の雰囲気が魅力的です。
なお、新穂高温泉から来た場合、鷲羽岳の登山バッジはここで手に入れると良いでしょう。
ここより南側の山荘には鷲羽岳のバッジは置いておらず、バッジ収集が好きな同僚はここで買い逃してしまったので残念そうにしていました。
ここからは黒部源流まで下り、この日最大の難関である渡渉を経て雲ノ平へ登り返します。
そのために、十分な休憩をとってから更なる下りに臨みます。
黒部源流への大下り

40分くらい休憩を挟み、この日のハイライトである黒部源流へ向かいます。
まだ天気は崩れていませんが、いつ雨が降ってもおかしくありません。
どうにか雨だけは降らないでくれ!
と祈りながら、黒部源流へ向かいます。

黒部源流のある絢爛豪華な谷の光景です。
息を吞む大自然の結集、万華鏡のような華やかな景色を前に自然と笑顔になり、やってやるぞ!という闘志が漲ってきました。

大地を彩る花木は実に多様です。
目の前にはチングルマ、少し奥には紅葉した木々が、豊かな色彩を放っています。

美しい植物に見とれてしまいますが、足元には十分気を配らなくてはなりません。
黒部源流までの道中も、小さい渡渉はいくつかあります。
いくつか木道が架けられていますが、狭いうえに滑りやすいので慎重に進む必要があります。

10時40分、黒部川の水源地です。
ここで雨が強く降ってきたため、慌ててレインウェアを全身に着用し、ザックカバーを装着します。

10時52分、渡渉ポイントです。
画像では分かりにくいですが、結構な勢いで雨が降っています。
増水していないことが救いですが、ロープは弛んでいるため使いづらく、足場となる岩も角度がついているため転倒する可能性があります。
ここで転倒すると只では済まないので、転ぶのだけは何としても避けないといけません。
ソールに着いた土汚れをストックで可能な限り落としてから、勢いで渡っていきます。
距離はそこまで長くないので、岩をぴょんぴょん渡る感じで問題なく反対側に行けました。

さあ、ここからは雲ノ平への登り返しです。
色んな人に話を聞きましたが、この登り返しがしんどいという声を聞いており、自分も地図を見ながら憂慮していたところです。
渡渉を終えてホッとしていたところに、この視界に映る景色が壁のように立ちはだかります。
雨脚が強まってきていることも相まって、つい足元を見つめてしまいます。
雨と急登の二重苦

雨は更に強くなります。
道中の岩もひとつひとつが滑りやすい罠に変貌しており、生半可なソールでは苦戦は必至です。
自分が今履いているスカルパのゾディアックテックには、BASシステムという特殊なソールの構造を成しており、このソールに助けられる形で体力を無駄に消費せずに登ることができています。
しかし、前を向くには辛い環境。
今まで下ってきた分この急登が長く続くと思うと、楽しさよりもしんどさが優ってしまいます。

雨は降りやむ気配がありません。
先ほどまで燃えていた闘志は強い雨に消火されてしまい、今はただ無心で登っています。
自分の膝の状態も少しずつ気になり始めたことで、遅れをとることが多くなりました。
ここで隊列を変えて私は最後尾に回ります。

無心を貫いてきたため、どれくらい時間が経過したかは分かりません。
そんな中、雨が次第に弱くなってきたため不意に後ろを振り返ってみました。
すると、自分が頑張って登ってきた証が広がっており、確実に進んでいることを自覚できました。
もう二度と来ないかもしれない場所ですが、こんな北アルプスの奥地にチャレンジできている事は幸せでしかありません。

最後尾に回ってからは、前の2人に必死についていくような感じで無我夢中に登ります。
急登もいよいよ終盤、これさえ越えてしまえば平坦な場所に出るはずです。
その先に、夢見続けてきた雲ノ平があります。

長い急登を漸く乗り越え、鬱蒼とした木々を抜けました。
ここまでは未知の世界、ここから先は想像もつかない世界です。
消沈していた闘志はすっかり蘇りました。
北アルプスの最奥地

12時前、黒部源流からの急登を乗り越え、不思議な大地に辿り着きました。
標高2,600メートルの空にある平たい地表、疲れが吹き飛ぶ景観です。

ここから雲ノ平まで、ゆるやかに標高を下げながら開放的な地を往きます。
雨は止んでいますが、周りは依然雲の中。
それも、この雲ノ平という地が持つ秘境感を演出しているように思えます。

ここから先は、植生保護のため木道が配置されています。
ところが、これが極めて滑りやすい!
渡渉のときに渡った岩よりも遥かに滑ります。
場所によっては木道が斜めに傾いている所があり、バランスをとるのが困難です。
私も一度派手に転倒して、肘を強打してしまいました。
後でぶつけた部分を見てみたら痣になっていましたが、この時はアドレナリンが出ていたのか、痛みを感じませんでした。

12時45分、祖父岳との分岐点です。
祖父岳は、明日最初に登頂するピークとして予定しています。
この日は雲が濃すぎて山容を満足に見ることはできませんでしたが、上の方から歓喜の声が聞こえてきました。
標高差こそ200メートル弱ありますが、山頂はそんなに遠くないのかもしれません。

ここは植物の宝庫です。
何処を向いても多種多様な植物が私たちの目を楽しませ、一帯はウィルダネスに限りなく近い環境です。
圧倒的な自然美は、ここまで苦労してきた登山者の心に響く絶景を生み出しています。
夢の大地 雲ノ平

木道を歩き続けて40分ほど、遠くに雲ノ平キャンプ場が見えてきました。
今回我々はテントを担いでいますが、あそこではなく雲ノ平山荘に宿泊します。

そして、随分遠くに見えますが雲ノ平山荘も見えてきました。
ここが雲ノ平、天空の楽園です。
広い平原に息吹く数々の植物が、苦労してこの地を訪れた登山者の心を楽しませてくれます。

雲ノ平山荘まで向かう途中、スイス庭園への分岐点があります。
非常に興味を惹かれるポイントですが、天候が曇りであることと、疲れ果てていて早く山荘に入りたい意向から、今回は見送りました。

あれが雲ノ平山荘、今回の山行で最も奥に位置する目標です。
これまで何度も訪れようとして失敗してきた雲ノ平。
遂に到達した喜びから、疲労感も心地良いものに変わってきました。
一緒に来てくれた仲間も安堵の表情に変わっており、高揚感を分かち合います。

13時54分、雲ノ平山荘に到着しました。
8時間以上行動し続け、険しい登り下り、強い雨、渡渉、滑る木道、肩や肘の痛みなど、2日目は苦しいと思う場面が多かったですが、この場所に辿り着いたことで全てが報われたような達成感に包まれました。
感慨に浸りながら、憧れの雲ノ平山荘へ入ります。

受付を済ませ、小屋に入ります。
なお、宿泊料金は現金のみで30歳以下はユース割引(要身分証明書)が使えます。
小屋内は、このように木目の温かみのある内装で、安心感があります。
平日ですが、小屋は次第に登山者で埋め尽くされていきます。雲ノ平山荘の人気の高さが伺えますね。

雲ノ平山荘の名物、石狩鍋を筆頭に美味しそうな夕食です。
これが本当に美味しく、銀色に輝くご飯や、味の染み込んだ豆やカボチャと一緒に味わって食べました。
こんな山奥で最高の味を堪能でき、これが最後の晩餐になったとしても良いと思う程でした。
ご飯と石狩鍋は、おかわりができます。
雷鳥にいざなわれて

夕食後、まだ寝るには早いので雲ノ平周辺を歩いてみます。
足が結構疲れているので、山荘の周りを歩くだけにしようと思います。

ここは、どの登山口から向かっても当日中に辿り着くことが極めて困難な地です。
奥ノ平とも言われ、北アルプスの最も深い場所に位置する植物の楽園。
数々の山に囲まれた日本最後の秘境に魅入られ、歩みが止まりません。

興味本位で、雲ノ平山荘の西側に向かいます。
ここは日本有数の溶岩台地としても有名で、独特な景観は火山活動が生んだ神秘とも言えます。

さっきまでは重すぎるザックを背負っているうえに膝の違和感が出始めたため、景色を楽しむ余裕はあまりありませんでした。
今はミラーレス一眼を片手に、空身で雲ノ平を味わい尽くすことができています。
ここで、予期せぬ幸運が訪れます。
夢中でレンズを覗いていると、
ペタペタペタ・・・
と、木道から音がします。
何だろうと思い、目を向けてみると・・・

雷鳥が群れで木道を歩いていました!
何ともかわいらしいフォルムをしており、アルプスに来たら1度は見たい動物の筆頭ですね。
鳴き声は相当変わっている鳥ですが、今回は鳴きませんでした。
人間を見てもあまり怖がることなく、木道の上をペタペタと歩いています。

雷鳥たちはしばらく木道の上を歩き続け、私も少し距離をとりながら後を追いかけました。
彼らは、私の存在を気に留めていない様子で木道を歩き続け、やがてハイマツの中に消えていきました。
早朝や夕方の時間によく現れるのですが、こんなに近くで見られたのは初めてです。
日本の山岳信仰と縁が深く、「神の使い」とも言われる雷鳥。
彼らの行く方向を見守っていると、ひとつの分岐点に差し掛かりました。

ここは、アルプス庭園へ向かう分岐ポイントです。
雷鳥をじっくり見ていたら、こんなところまで来てしまいました。
アルプス庭園の方へ向かうと、祖母岳という1つのピークがあります。
雷鳥にいざなわれて来た場所、せっかくなので向かってみます。

黄金色の草が風に揺れ、自然の音を創り出します。
たった1人でここを歩いていると、羽が生えたように自由な気分になります。

祖母岳の山頂です。
標高は2,560メートルで、特に看板や目印はありません。
しかし、雲ノ平に流れる穏やかでゆっくりとした時間を全身で感じることができる素敵なスポットです。
しばらくゆっくりしたい所でしたが、秋の日は釣瓶落とし。もう陽が落ちてしまっており、この後すぐに暗くなります。
真っ暗になる前に雲ノ平山荘へ戻りましたが、雷鳥は既に姿を消していました。
翌日は雲ノ平から祖父岳を経て、今回の山行で最高地点となる、鷲羽岳へ挑みます。
行動時間・行動距離は、3日目が最も長くなる予定のため、膝のケアを念入りに行い、快適な布団に潜り込みました。
翼を広げた鷲の如く、鷲羽岳の優美な姿は多くの登山者を虜にしてきました。
私も去年の双六山荘からそのカッコいい山容を見たときの光景を強く覚えています。
さあ、ボロボロの体を奮い立たせて全力で立ち向かった北アルプスの旅は、いよいよ佳境に入ります。